上ツ道を自転車でサイクリング

6世紀後半から7世紀にかけて造られた計画道路のひとつで、南北方向に延びる道としては大和でいちばん東側の旧街道です
よくハイキングのイベントで歩いている方を見ることがあります
気候のよい時期は多い団体だと50人ほどのグループやもちろん一人で大きなリュックをしょって一生懸命な姿も見られます

そして、街道歩きで年越しでしょうか、年末から大晦日にも数組と言ってもほとんど一人でなのですが、歩いたり自転車で、と言う姿もありました

奈良のスタートは奈良公園猿沢池から奈良市天理市桜井市を通って、大神神社ぐらいまでと言う予定や何泊かして伊勢神宮まで行くと言う方もいらっしゃると思うのですが、いづれにしても
普段、この道を車で移動して生活している私にとっては「歩きとおす」と言うのは意外としないことで、きっかけがあればなと思っていました

上ツ道の良いところは、昔の風情が残っていることはもちろん 緊急に予定が変わるなどのとき常に電車の線路桜井線が平行に位置していたり、バスの通る169号線が近いので途中で切り上げるときも心配が少ないところだと思います

寒い日がおおいのですが、思い切って歩いたり体を動かすと暖かくなるということで、上ツ道で奈良公園猿沢池から帯解寺 天理市の櫟本・天理駅桜井市箸墓古墳までを散策しようとなりました

でも今回は子どもも一緒に歩きではなく自転車で行くことにしました

奈良公園猿沢池からスタート。大きな燈籠がいくつか残されていて、おかげまいりや長谷寺詣りや、江戸時代の庶民の伊勢参宮で賑ったなごりが見られます。旅館、お店が並び格子・虫籠窓のある古い町屋が続き「ならまち」をぬけて行きます。

民家の玄関には身代わり猿の庚申猿を吊り下げた家もあります

御霊神社・ならまち格子の家を通り、奈良の町の南端で、奈良の都の終わるところということで名づけられた「京終」きょうばて の町をすすみます。新興住宅がふえてきて建物が少なくなって周りに田んぼや、溜め池の堤が増えてくると、街道の西どなりに桜井線が走り、遠くに大阪の府県境、生駒山が姿を現します。
左手東側には振り向くと山焼きで黒く色を変えた、若草山春日山高円山から竜王山・巻向山の青垣の山々が見え遠くにはかつての旅人や現代のハイカーがめざす三輪山も見え隠れします。安産祈願で知られた帯解寺です。犬の日などは、交通整理のガードマンが3〜4人出るほどの人気のお寺です
帯解寺を通りいよいよ天理市に入っていきます 再び、古い町並みがつづく、蔵之庄町をとおり、名阪国道の天理ICの町として交通量の多い櫟本町
かつても交通の要衝として賑った町で、「右、法隆寺 左、初瀬みち」の道しるべが残されていて、高瀬街道と交わる。。明治期の奈良警察署櫟本分署の建物が見学できます。
「馬出」はかつて人馬が行き交ったところで町屋が残り、その一軒に今も  馬を繋ぎ留めていた馬つなぎの横木がみられます。

名阪国道をくぐると在原神社があります
平安時代歌人であり美男子として知られた在原業平が、紀有常の娘とすまいを構えたところと伝えられ、伊勢物語に題材をとった世阿弥の傑作 「井筒」の舞台となったのが ここ在原寺で今の在原神社です。想像の世界が広がる境内です

・筒井筒 井筒にかけし まろが丈 すぎにけらしな 妹見ざる間に
あなたと会わずに過ごしているうちに、昔あなたと遊んでいた幼い日に、井筒と背比べした私の背丈はずっと高くなりましたよ。
女は男に歌を返します
・くらべこし 振り分け髪も 肩すぎぬ 君ならずして 誰かあぐべき
あなたと比べあった、振り分け髪も肩を過ぎてすっかり長くなりました。その髪を妻として結い上げるのはあなたをおいてはありえません。
恋多き美男子 在原業平を妻としてひたむきに想う気持ちにひたった後、また旧街道らしい、曲線を描いた道をさらに南に進みます



「御紋焼き」1ヶ80円
天理ビル天理ショッピングセンター1F 天理教の紋のデザイン


天理駅付近で国道25号を越える丹波市町。室町時代から丹波庄の市場がありました このあたりの町の様子は昭和の時代にタイムスリップしたような光景で、かつての賑わいが想像できました 天理駅の商店街は通ることがありましたが、また違ったレトロな趣が味わえるのが丹波市です



丹波市の賑わいから、田園風景へと変わるころ、小さな藤棚があります そこに、「くたびれて やどかるこころや ふじのはな草臥れて 宿かる比や 藤の花」の芭蕉の句碑があります。貞享5年(1687)、弟子とともに故郷伊賀を発ち、吉野・高野・紀伊を回って大和を訪れた芭蕉が、この地で藤の花を見て詠んだ句と伝えられます。
このあたりから青垣の山並みに近づくように桜井市に向けて続きます



大和に春を告げる祭として4月1日に行われるちゃんちゃん祭の大和神社は、 大和一国の地主神 で戦艦大和の守護神として知られ、どっしりとした社殿が東に面して建っています。




五智堂は、長岳寺の飛地境内で、どこから見ても正面なので「真面堂」、形が小さいので「マメ堂」、また、支柱を除けば四方吹き放しとなるため「傘堂」などと呼ばれています。
今はもう、無くなっていますが、江戸時代には床が張ってあり、上街道を通る旅人の休憩所になっていたものと思われます。



三十三面もの三角縁神獣鏡が出土して邪馬台国畿内説を力づけた黒塚古墳がある。



そして桜井市に入り、邪馬台国の跡とも言われる纏向遺跡は、巻向駅を中心とする東西2キロ 南北1・5キロの広い範囲をさし、邪馬台国の女王・卑弥呼の宮殿の可能性がある3世紀前半の大型建物跡が巻向駅の西側で見つかったということで、考古学ファンにはたまらない色んな発見があり話題となりました
たまたま道を聞いてこられたハイカーのかたも、11月に報道された発掘現場を探しておられましたが、普通の住宅密集地ですから、現地説明会の後は、すぐ埋め戻されていたようで残念がっておられました
住んでおられる方も大変だったようで、沢山の人がトイレを借りれるか聞きにこられたのでしょうか、店のおもての張り紙に「店にはトイレはありません」と書かれていました

そしていよいよ巻向駅から国道169号線の高架を超えると木々が繁って小山のような箸墓古墳が見えてきました。卑弥呼のお墓という説が有力になったということで、見慣れているはずの古墳も、いとおしく感じました
箸墓古墳では30人ほどのグループのハイカーに出会いましたが、講師らしき人から話を聞いて、皆さん目を輝かせるように古墳を眺めていたのが印象的でした
一人で来た男性は堀の堤の階段を、わくわくした様子で駆け上ってこられ、すごくうれしそうに写真を撮っていました。みんなの頭にいろんな想像や分析が溢れているようで、夢がふくらむっていいな〜と思いました


歩きなれたハイカーだと、猿沢池から箸墓古墳まで、およそ6時間だそうですが、休憩のほうが多い子どもの自転車とママチャリのサイクリングは7時間ほどかかりました。