はにわ祭り in奈良県天理市櫟本町 櫟本小学校 2/5

櫟本町天理市の北部に位置し名阪道路・天理インターチェンジが有り、
南北に国道169号線、古代の上ツ道(上街道)がとおる交通の要所です。
また、東には最古の道 山の辺の道があります


櫟本は古墳時代の有力な豪族である「和爾(わに)氏」の本居地であったところで、
一族とされる在原業平柿本人麻呂などゆかりのある土地です。


はにわ祭りのメイン会場は創立138年の歴史と伝統ある櫟本(いちのもと)小学校です。


近くの東大寺山古墳群の赤土山古墳からは、巨大な円筒埴輪や朝顔形埴輪などがたくさん出土しています。
これらの埴輪を焼いた古代の「はにわ工房」跡が、学校の敷地内から見つかりました。
このことをきっかけに、古代の人々の文化や歴史を地域の人や子ども達に感じてもらおうと、
毎年「はにわ祭り」が、行われています
小学校・幼稚園の園児も参加するなど、
地域が一体となった一大イベントとなっています。
ミニチュアの円筒埴輪を子供達が製作し、野焼きします
焼きあがるまでに屋台・ウォークラリー等が行われました
ウォークラリーでは、各所で6年生が説明してくれます

古くから市場が開かれ、商業の活発だったことから今でも「市場」というところがあります。
上街道と高瀬街道が交差するところで、主に大和高原(福住方面)から馬の背中に薪や炭を載せて下り、
この地で荷をおろし、帰りに食料品や日用品を買って帰る人や馬で賑わった所で、
荷を運ぶ馬をつないだ「馬つなぎ」の遺構も残されている趣のある街並みです
馬出(うまだし)の町並み 馬つなぎ
馬をつなぐため軒下に横にして付けられた太い丸太(手前) 低い方(奥)は牛用らしい 

古くから交通の要衝でお伊勢参り、大和高原や奈良、斑鳩、そして桜井、飛鳥を結ぶ土地としても栄えてきました。


周辺には古墳や神社・古代寺院跡など、歴史を秘めたポイントがたくさんあります。


赤土山古墳 
発掘調査の成果で復元された埴輪 家形埴輪などが並べられている古墳公園


高塚遺跡 盆地を見下ろす丘陵にある高塚公園(古墳公園)
古墳時代の建物跡(柱穴の跡)が見つかっています 
昭和57年に行われた発掘調査で、6世紀後半(古墳時代後期)に山の中腹を切り開いて造った、広い平坦地が見つかりました。 さらに、特殊な建物の跡や供物を載せる土器の破片が、多数、見つかり人々が集まる広場で、特殊な建物は祠(ほこら)か社(やしろ)、そして土器は祭祀(神様などにささげる祭り)に使用されたもので、6世紀後半の神社跡と推定され立地場所から、ワニ氏によって行われたものとみられます。
掘建柱跡の形態や規模から特殊な扱いを受けた建物の跡と思われ盆地を見下ろす丘陵上に造られた古代の祭祀場でないかと推定されています 


在原神社
平城天皇の御子阿保親王のお子さんが在原業平でその後、在原寺となり
阿保親王在原業平を祀る在原神社が作られました 
伊勢物語の「筒井筒ゐづつにかけし まろがたけ 過ぎにけらしな 妹見ざるまに」
この筒井筒の名残といわれる井戸があります


柿本寺(しほんじ)というお寺の跡にある歌塚
柿本氏の氏寺であった。ここに柿本氏の出である歌人 柿本人麿の遺骨を葬ったので、
人麿崇敬が盛んになるにつれ、歌塚として有名となった


かぼちゃ薬師
かぼちゃの初なりを供えると、目や耳の病を治してもらえるとの言い伝えがあります。


楢(なら)神社 
日本書紀に登場する古い神社です。
祭神「鬼子母神」は子供の守護神として、また子授けの神として崇敬されています。
また、参拝して子どもが授かると「楢」や「奈良」の字をもらって命名する習わしがあったといいます


他にも見どころいっぱいでした。